円光寺村(読み)えんこうじむら

日本歴史地名大系 「円光寺村」の解説

円光寺村
えんこうじむら

[現在地名]金沢市円光寺一―三丁目・円光寺本町えんこうじほんまち伏見台ふしみだい一―二丁目・寺地てらじ二丁目

寺地村・地黄煎じおうせん村の南、伏見川の中流東岸に位置する。村内を鶴来つるぎ往来が通る。地名はかつて地内に所在した寺院の名によると伝えるが、同寺の寺跡などは不明(加賀志徴)正保郷帳では高三八八石余、田方二三町二反余・畑方二町六反余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では高四二一石・免五ツ八歩で、ほかに小物成として山役一〇五匁・蝋役一匁が賦課されていた(三箇国高物成帳)

円光寺村
えんこうじむら

[現在地名]上月町円光寺

上月村仁位にい村の南、佐用川に西から支流秋里あきさと川が合流する地点の河岸段丘と沖積地に立地する。村名は中世当地にあった円光寺に由来。慶長国絵図に円光寺村とみえる。江戸時代の領主変遷は慶安二年(一六四九)幕府領となるまでは上月村に、その後は仁位村に同じ。正保郷帳では田方九〇石余・畠方一二一石余。延宝七年(一六七九)検地帳(円光寺村文書)によれば検地面積二〇町八反余、高二一五石余、田畑名請人八三・屋敷名請人三八。

円光寺村
えんこうじむら

[現在地名]熊山町円光寺

吉原よしわら村の南西に位置し、若宮谷わかみやたに(二五〇・八メートル)南麓に集落がある。同山頂には円光寺跡があり、平安時代の瓦が出土した。同寺の門前集落として発展したことから村名が生じたという。慶長一〇年(一六〇五)備前国高物成帳(備陽記)岩生いわなし郷に村名がみえ、寛永備前国絵図では高一二一石余。「備陽記」によれば山寄り集落で、岡山京橋(現岡山市)まで道程六里。家数三三、田畠一六町五反余、人数一三七。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android