内ヶ谷村(読み)うちがたにむら

日本歴史地名大系 「内ヶ谷村」の解説

内ヶ谷村
うちがたにむら

[現在地名]大和町内ヶ谷

島馬場しまんば村の西、内ヶ谷川(亀尾島川上流部)に沿う谷盆地にある。「新撰美濃志」に平家の落人を祖とし、村名は落ヶ谷に由来すると伝える。いわご谷を登り西にし峠を越え、板取いたどり(現武儀郡板取町)に至る道は古くから重要で、天正一〇年(一五八二)織田信孝の命で、遠藤氏は同街道を通り板取の長尾氏を攻めて降参させた。正保郷帳に村名がみえ、畑のみで高三石余。宝暦六年(一七五六)の郡上郡村高覚帳(鈴木文書)では高二一石余、家数二〇、安永二年(一七七三)の郡上領留記(大西文書)によれば、当村は中野なかの郷といい、一本橋一、小物成は大豆九斗・綿役銀一五匁余など。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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