六角村(読み)ろつかくむら

日本歴史地名大系 「六角村」の解説

六角村
ろつかくむら

[現在地名]姫路市六角菅生台すごうだい

飾西しきさい郡に所属。書写山の南西麓に位置し、東は西坂本にしさかもと村。村内を菅生川が南流する。慶長国絵図に村名がみえる。江戸時代を通して姫路藩領。正保郷帳では田方一八〇石余・畠方四五石余。天保郷帳では高二九四石余。寛延三年(一七五〇)の村明細帳(六角自治会文書)では高二八二石余、永引二石余、残高二七九石余の反別は田方一〇町二反余・畑方五町二反余、ほかに新田畑一〇石余がある。家数は六一(本百姓五〇・水呑一一)・人数三一二。文化二年(一八〇五)名寄帳(同文書)によれば新田畑の免は四ツ三分・二ツ七分、姫路藩への御蔵米は上三方かみさんぼう蔵・下三方蔵・船場せんば蔵に納入した。宝暦三年(一七五三)当村・刀出かたなで村と揖東いつとう打越うちこし村との間に刀出村下代しもだい井堰をめぐる水論が起こり、大坂町奉行に提訴されたが、同一一年に和解した(六角自治会文書)

六角村
ろつかくむら

[現在地名]東村六角

利根川左岸の低地にあり、北は手賀てが沼(現大重干拓だいじゆうかんたく)、東は結佐けつさ村。慶長一九年(一六一四)に根本氏の開発と伝え、十六島じゆうろくしまの一で、上新島かみしんしま六ヵ村のなかにあった(佐原市史)元禄郷帳の村高は九三石余であるが、天保郷帳では一六三石余に増加する。弘化二年(一八四五)の関東御取締役控帳(香取郡誌)によれば、天領神崎本宿こうざきほんじゆく(現千葉県香取郡神崎町)外五二ヵ村組合に属し、村高は二〇四石余、家数三〇。

六角村
ろつかくむら

[現在地名]豊川市六角町

三蔵子さんぞうご村の北西にあたり、長草ながくさ村と大崎おおさき村の間にある。「豊川村誌」に「古書ニ千両村ノ出郷カトアリ。犬頭ニ六角ノ角ノ如キモノアリケル、其ヲ埋メタル所ト云フ」と伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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