八重山遠見遺跡(読み)やいまどうみいせき

日本歴史地名大系 「八重山遠見遺跡」の解説

八重山遠見遺跡
やいまどうみいせき

[現在地名]多良間村仲筋

仲筋なかすじ集落の西のはずれ、多良間島で最も高い丘(標高三二・二メートル)の頂部にある遠見番所の跡。ヤイマドゥーミとも。粟石(ビーチロック)で築かれ、底面の周囲二二・七メートル、高さ二・五メートル、頂上はほぼ円形をなし、周囲一六・九メートル、昇降路は螺旋階段になっている。頂上に立てばほぼ円形の島全体を展望でき、北に水納みんな島、西に石垣島をみることができる。築造年代は未詳ながら、崇禎一七年(一六四四)に初めて烽火を中山の各所ならびに諸外島に設け、貢船二隻のときは烽火二炬、一隻ならば一炬、異国船は三炬を焚いて中山に伝送することになっていた(「球陽」尚賢王四年条)琉球では洪武五年(一三七二)明の冊封を受けて以来、冊封船や進貢船が大陸との間を往来していたが、この烽火の制を設けたのは江戸幕府のいわゆる鎖国政策によるもので、宮古・八重山もほぼ同時期に始まったと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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