入北記(読み)にゆうほくき

日本歴史地名大系 「入北記」の解説

入北記(玉虫「入北記」)
にゆうほくき

九冊 玉虫左太夫著

成立 安政四年

自筆本 玉虫家

写本 東京大学史料編纂所

解説 安政四年箱館奉行堀織部の東西蝦夷地および北蝦夷地(カラフト)の廻浦に随行した仙台藩士玉虫左太夫の道中日記。そこに記された蝦夷地の風土、風俗習慣や各藩の警備状況などについての的確な記述のゆえに、万延元年の遣米使節の派遣に際し当時外国奉行になっていた堀織部は玉虫を積極的に随行者として推薦したという。玉虫はこのときも「航米日録」八巻というすぐれた記録をまとめているが、その後戊辰戦争における東北列藩同盟の責任をとらされて切腹させられた。

活字本 平成四年刊

入北記(島「入北記」)
にゆうほくき

四冊 島義勇著

成立 安政四年

自筆本 北海道大学附属図書館ほか

解説 安政三年末、藩命により江戸を出立して蝦夷島を訪れ、翌四年箱館奉行堀織部の東西蝦夷地および北蝦夷地(カラフト)の廻浦に随行した肥前佐賀藩士島義勇の道中日記。雲・行・雨・施の四冊のうち、松前出発から北蝦夷地トンナイまでの雲の巻を欠く。著者は維新後の明治二年開拓使の開拓判官となり札幌本府の創基に尽力したが、開拓長官東久世通禧と対立して辞職。その後同七年郷里において江藤新平とともに佐賀の乱を起こして処刑された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報