光蓮寺(読み)こうれんじ

日本歴史地名大系 「光蓮寺」の解説

光蓮寺
こうれんじ

[現在地名]八尾市南木の本七丁目

浄土真宗本願寺派、山号若江山、本尊阿弥陀如来。寺伝によればもと河内国若江(現東大阪市)にあったが、文明九年(一四七七)当地に遷ったという。開基は浄教(「光蓮寺代々似影裏書写」寺蔵)。永正一〇年(一五一三)九月、本願寺九世実如は親鸞絵像を当寺に下付しているが、その裏書に光蓮寺とみえ、すでに当時寺号をもっていたことが知れる。石山いしやま本願寺(跡地は現東区)時代、当寺は度々本願寺へ出入りしており、「天文日記」に散見する。「今日之斎、若江光蓮寺」(天文五年六月二八日条)、「来二日之頭料、光蓮寺先五百疋出之、残二百疋者、重可上之」(同一〇年七月一日条)などとみえ、当寺が若江衆の頭人として本願寺での斎を中心とした仏事に勤仕していたことが知れ、経済力に優れ河内門徒衆の有力寺院の一つであったことがわかる。

光蓮寺
こうれんじ

[現在地名]川崎町川崎 鬼山屋敷

中元寺ちゆうがんじ川の東岸に位置する真宗大谷派寺院。山号は降鬼山。本尊は阿弥陀如来。寺伝によると天正年間(一五七三―九二)の創立で、慶長一〇年(一六〇五)に寺号公称したという。境内の輪蔵附経蔵は県指定有形民俗文化財。八代住職智厳は肥前長崎修行中に旧家家宝として保管されていた明版一切経を贈られ、これを収蔵するために輪蔵附経蔵を建立した。経蔵が建てられたのは安永年間(一七七二―八一)と伝えられていたが、昭和六三年(一九八八)の解体修理の際に延享四年(一七四七)と確認された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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