光照寺跡(読み)こうしようじあと

日本歴史地名大系 「光照寺跡」の解説

光照寺跡
こうしようじあと

[現在地名]日南市飫肥九丁目

ほん町の西端、本町ほんまち(国道二二二号)の南側にあった時宗寺院で、北側の浄土宗空也くうや寺と向い合っていた。飫肥藩初代藩主伊東祐兵が飫肥入部後に先祖伊東祐国の菩提寺であった児湯こゆ鹿野田かのだ(現西都市)の光照寺の寺号を受継ぎ、同寺を鹿野田村に残したまま、当地に創建したもので、覚阿を中興開基とし、祐国山と号した(日向地誌)。江戸時代の寺領は寛文三年(一六六三)の竿増六斗三升三合を加えて二二石二斗で、うち六石一斗は物成、残りは地方であった(正徳四年頃飫肥藩人給帳)

光照寺跡
こうしようじあと

[現在地名]福井市安波賀中島町

西山にしやま上西山かみにしやまにあった寺。西山光照寺跡として知られる。国指定史跡。大同年中(八〇六―八一〇)伝教大師最澄の開創と伝え、一乗いちじよう院と号したという。その後、朝倉孝景が叔父鳥羽豊後守将景の菩提を弔うため当地に再興、その法名を寺号としたという。一乗谷の寺院跡のなかで最大のものであるが、寺は慶長一六年(一六一一)北庄きたのしよう城下に移転して現存。寺跡に散在する墓碑などから、朝倉氏時代は真盛の開いた近江坂本さかもと(現滋賀県大津市)の天台宗西教さいきよう寺末であったことが知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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