光富名(読み)みつとみみよう

日本歴史地名大系 「光富名」の解説

光富名
みつとみみよう

薩摩郡内の名田。建久四年(一一九三)の諸郡注文(宮之城記)に光富名とみえる。薩摩国建久図田帳には、薩摩郡公領のうちとして「光富四十九町内二十町万得 名主荒河太郎種房」とある。大隅正八幡宮(現鹿児島神宮)と関係の深い所領である。名主の名字から推定して、現在の荒川あらかわ一帯と思われる。ただし国分氏并羽島氏系図(地誌備考)にみえる国分友茂の注記に「光富ノ内向田知行」とある。向田むこうだは現川内せんだい市向田町に比定され、また名内に赤寒水あかひやみつ(現川内市高江に寒水のつく小字あり、あかそうずともいう)を含む史料があることから(貞治六年三月五日「島津師久所領処分目録」島津家文書)、当名は北隣の川内市域にまで広がっていたか、あるいは散在していた可能性もある。平姓串木野氏系図の一本は串木野氏祖忠通の兄弟有慶に光富と注記しており、鎌倉時代初期にこの人物が光富名主となった可能性がある。寛元元年(一二四三)八月一〇日、新田宮執印迎阿弥陀仏が相伝の所領である本免田のうちの光富一町九反などを嫡子惟宗友成に譲与した(「五大院院主迎阿譲状」新田神社文書)

光富名
みつとみみよう

中世の彼杵そのき庄内地名今富いまとみとともに記されることから同じく大村市域の可能性があるが、未詳。嘉暦四年(一三二九)七月三日の東福寺領肥前国彼杵庄文書目録(正慶乱離志裏文書)に「今富光富本名」とみえ、同三年に検注が行われているが、同四年当時はなおその目録は完成していなかった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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