傍丘磐杯丘北陵(読み)かたおかのいわつきのおかのきたりよう

日本歴史地名大系 「傍丘磐杯丘北陵」の解説

傍丘磐杯丘北陵
かたおかのいわつきのおかのきたりよう

[現在地名]香芝町大字今泉

「日本書紀」継体天皇二年一〇月三日条に「小泊瀬稚鷦鷯(武烈)天皇を傍丘磐杯丘陵に葬りまつる」、「古事記武烈天皇段に「御陵片岡の石坏の岡に在り」、「延喜式」(諸陵寮)に「傍丘磐杯丘北陵泊瀬列城宮御宇武烈天皇、在大和国葛下郡」とみえる武烈天皇陵を「大和志」は平野ひらの村に求めているが、明治中期頃より今泉いまいずみの小丘が武烈天皇陵といわれるようになった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報