保寿院跡(読み)ほうじゆいんあと

日本歴史地名大系 「保寿院跡」の解説

保寿院跡
ほうじゆいんあと

[現在地名]鎌倉市西御門一丁目

鶴岡八幡宮の裏、現市立第二中学校の西南報恩ほうおん寺旧跡の正面付近にあった。禅宗。開山義堂周信。応安元年(一三六八)一〇月五日、関東公方足利基氏の母清江寛公禅尼の遺命により、西御門にしみかどの別殿が保寿院と号され菩提所となった(空華日用工夫略集)。同書によると同五年二月一〇日・同六年二月一日、関東公方足利氏満が当寺に参詣し、義堂周信が貞観政要を講じ、以後引続き治国の談をしている。応永九年(一四〇二)四月二五日の黄梅院造営条々定書(県史三)に当寺月潭中円の名がみえ、室町初期と推定される古教妙訓等連判状(同書)に当寺周祖の名がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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