佐用庄(読み)さよのしよう

日本歴史地名大系 「佐用庄」の解説

佐用庄
さよのしよう

古代の佐用郡佐用郷(和名抄)の郡郷名を継承した庄園。千種ちくさ川および支流の佐用川流域、現佐用郡の大部分と宍粟郡山崎やまさき町・千種町、赤穂郡上郡かみごおり町域に及ぶ広域を庄域とする。承久三年(一二二一)八月二二日の土佐守(源有長)宛の北条義時書状案(九条家文書、以下断りのない限り同文書)に「播磨国佐用庄」とみえ、鎌倉幕府は承久の乱後没収した坊門忠信家領の佐用庄を九条家に与えている。当時鎌倉幕府将軍であった藤原(九条)頼経の実父道家に敬意を表し、朝幕関係の修復を図ろうとしたものと考えられる。建長二年(一二五〇)一一月、道家は嫡孫忠家に当庄ほかを譲った。当庄内には東庄西庄本位田ほんいでん新位田しんいでん豊福とよふく村・江河えかわ(現佐用町)赤松あかまつ(現上郡町)千草ちくさ(現千種町)土万ひじま(現山崎町)があった(九条道家初度惣処分状)。当庄は承久の没収地として関東御領となり、九条家には庄務権が与えられたが、本所は幕府であり、地頭を補任しないものの、預所職は武士への給恩の対象とされていた。なお坊門家領となる前は、平家没官領の関東御領であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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