佐志村(読み)さしむら

日本歴史地名大系 「佐志村」の解説

佐志村
さしむら

[現在地名]唐津市八幡町やわたまち桜町さくらまち佐志中通さしなかどおり佐志中里さしなかざと佐志浜町さしはままち佐志南さしみなみ橋本町はしもとまち

北は唐津湾の一部唐房とうぼう湾に面し、村落の中央に佐志川が流れ、丘陵地で東西は低い。「松浦古事記」は、神功皇后が朝鮮出兵の際、この地で敵地はいかなる方向かと指さしたと伝承を記す。

周辺の山麓に縄文期の吉田よしだ遺跡・笹の尾ささのお遺跡があり、折口田おりぐちだ・笹の尾・経塚きようづか山などから弥生期の遺物が出土した。また惣原そうはら・経塚山では古墳が発見され、遺物出土の記録がある。

中世、この地で松浦党の佐志氏が浜田はまだ城に拠っていたが、松浦党の始祖松浦久の六男調がこの地を所領し、佐志氏の祖となったという(松浦家世伝)。また「吾妻鏡」建長二年(一二五〇)の三月一日条に載せる閑院造営雑掌目録に「佐志源次」の名がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報