佐古郷町(読み)さこごうまち

日本歴史地名大系 「佐古郷町」の解説

佐古郷町
さこごうまち

[現在地名]徳島市佐古五番町さこごばんちよう佐古六番町さころくばんちよう佐古七番町さこななばんちよう佐古八番町さこはちばんちよう蔵本町くらもとちよう一―三丁目・庄町しようまち一―五丁目・鮎喰町あくいちよう一―二丁目

伊予街道沿いに成立した新興の町場で、佐古町の裏側や西部に位置する。土地は佐古・蔵本・庄・東名東ひがしみようどうの各村にまたがる。

貞享四年(一六八七)紙屋かみや町の申出によって富田とみだ二軒屋にけんや助任すけとうおよび佐古の各郡町(郷町)の紙商売が禁じられた。またその前年の貞享三年には、市中の者から佐古・富田助任の各口郡分に商人が集まるため、市中の商人や職人が困窮し家屋敷が売れず借家も空いてしまうとして、各口郡分での商売を禁止してほしいという願書が出されている(元居書抜)。このことから、一七世紀の後半には佐古郷町をはじめ助任郷町・二軒屋町といった旧来の城下外縁部に商人が集まり、その商業活動が市中の町人を圧迫するほど成長していたことがうかがえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報