住木諭介(読み)すみきゆすけ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「住木諭介」の意味・わかりやすい解説

住木諭介
すみきゆすけ
(1892―1974)

農芸化学者。新潟県の生まれ。東京帝国大学農学部農芸化学科を卒業(1925)、大学院に進み微生物代謝産物化学構造の研究に従事、とくにイネの馬鹿(ばか)苗がイネに寄生している菌類ギベレラ・フジクロイが分泌する物質の徒長ホルモンとしての効果であることを重視し、師藪田貞治郎(やぶたていじろう)(1888―1977)に協力して、この菌の培養液からこの物質を純粋に単離し結晶化させることに成功し、ジベレリンと命名した(1938)。第二次世界大戦後は農業用に利用できる抗生物質の研究に貢献、とくにいもち病に対して有効なブラストサイジンSを発見(1958)、実用化し、この功によって1963年(昭和38)日本学士院賞を受賞した。

[佐藤七郎]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「住木諭介」の解説

住木諭介 すみき-ゆすけ

1901-1974 昭和時代の農芸化学者。
明治34年2月10日生まれ。昭和13年植物ホルモンのジベレリン結晶化に成功。また稲のいもち病防除に有効な抗生物質ブラストサイジンSを発見し,38年学士院賞。21年東京帝大教授,37年理化学研究所副理事長。昭和49年9月11日死去。73歳。新潟県出身。東京帝大卒。著作に「植物ホルモン」など。

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世界大百科事典(旧版)内の住木諭介の言及

【抗生物質】より

…しかし,この残留性と慢性毒性が問題となり,また環境汚染などの問題も加わって利用できなくなり,新薬の開発が求められた。これが契機となって,ブラストサイジンS(住木諭介ら,1958),カスガマイシン(梅沢浜夫ら,1965)が開発された。そのほかイネの白葉枯病に対するセロサイジン(住木諭介ら,1958),イネの紋枯病に対するバリダマイシン(武田薬品工業,1971),モモの黒斑病とリンゴの斑点葉枯病などに対するポリオキシン(鈴木三郎ら,1958),うどんこ病に有効なミルディオマイシン(武田薬品工業,1983)などがある。…

【ジベレリン】より

…これはGibberella fujikuroi(Fusarium moniliformeと呼ばれることもある)という植物病原菌の感染によってひきおこされる病気で,罹病したイネは草丈が高く(徒長)なり,葉色も緑色が淡くなり,ひどい場合には枯死する。この病原菌の代謝産物の中にイネを徒長させる物質の存在することが,当時の台湾の農事試験場の技師であった黒沢英一によって証明され,1938年には東京大学農芸化学科の藪田貞治郎,住木諭介によって,活性の本体が結晶として単離され,ジベレリンと命名された。戦後,イギリス,アメリカ,日本の研究陣によってジベレリンの研究が展開され,54,55年にジベレリンA1,A2,A3(以下GAnのように略記する)の3種が単離された。…

※「住木諭介」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」