伊福吉部徳足比売(読み)いふきべのとこたりひめ

朝日日本歴史人物事典 「伊福吉部徳足比売」の解説

伊福吉部徳足比売

没年:和銅1.7.1(708.7.22)
生年:生年不詳
7世紀後半から8世紀にかけての地方豪族の女性。因幡国法美郡(鳥取県東部)の郡司の娘。采女として墓誌文武天皇の宮廷に出仕していたらしく,慶雲4(707)年従七位下に叙せられる。翌年没したが和銅3(710)年10月火葬され,故郷(鳥取県岩見郡国府町宮下)に埋葬安永3(1774)年,墓誌が刻まれた銅製蔵骨器が発掘され有名になった。その後,銅器改葬,再発掘を経て国の重要文化財として東京国立博物館蔵。延暦3(784)年作成の『因幡国伊福部臣古志』に徳足比売の名はみえないが,第27代国足臣は兄弟か。<参考文献>佐伯有清「伊福部臣氏の系図」(『古代氏族の系図』)

(児島恭子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊福吉部徳足比売」の解説

伊福吉部徳足比売 いおきべの-とこたりひめ

?-708 飛鳥(あすか)時代の女官
因幡(いなば)(鳥取県)法美(ほうみ)郡から朝廷に出仕した采女(うねめ)。慶雲(きょううん)4年従七位下となり,和銅元年7月1日死去。3年火葬にされ故郷に埋葬される。安永3年(1774)宮下村(岩美郡国府町)で蔵骨器(重要文化財)が発見された。氏は「いふきべ」ともよむ。

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