伊保田村(読み)いほたむら

日本歴史地名大系 「伊保田村」の解説

伊保田村
いほたむら

[現在地名]東和町大字伊保田

屋代やしろ島の東端に位置し、南は油宇ゆう村、西は和田わだ村に接する。北側は海に面し、北東海上になさけ島を望む。なお情島・金丸かねまる島、かんじよう(現間情島)もろ島・いずみ島の五島は当村に属した。

康応元年(一三八九)の「鹿苑院殿厳島詣記」に「伊予国まさきがふろ、いほたうのうらのせと」とみえる。慶長一五年(一六一〇)検地帳に「伊保田村」とある。「いおた」「いよた」ともいう。

村域は大見おおみ山の北麓にあたり、麓が海岸部まで延びており、平地は少ない。

伊保田村
いほたむら

[現在地名]大多喜町伊保田

堀切ほりきり村・板屋いたや村の南、西畑にしはた川の支流堀切川上流域に位置する。もと板屋村枝郷で、寛延四年(一七五一)に独立村になるが(板屋区有文書)、天保郷帳では枝郷とする。文禄三年(一五九四)二月二六日の伊保田之村地詰帳之写(鈴木家文書)では永高一貫九〇五文、名請人四、屋敷地は一筆。寛永(一六二四―四四)の検地帳(伊保田区有文書)では田二町九反余・畑五町三反余(うち茶畑一町七反余)元禄郷帳では高一六石余。領主変遷笛倉ふえぐら村に同じと思われる。寛政五年(一七九三)の村鑑(伊保田区有文書)によれば家数二〇、旱損・水損、山崩れ地があり、農間に男女とも山稼に従事。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報