朝日日本歴史人物事典 「今出河院」の解説
今出河院
生年:建長4(1252)
鎌倉後期の女院。亀山天皇の皇后。名は嬉子。太政大臣西園寺公相の娘。伯母で亀山の母の大宮院の猶子。弘長1(1261)年8月中宮となったが,亀山は同年2月中宮となり8月皇后宮となったもうひとりの后である佶子(洞院実雄の娘京極院,後宇多天皇の母)を寵愛し,嬉子に対する愛情は薄かった。文永5(1268)年院号宣下。
(秋山喜代子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
(秋山喜代子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
外国人や外国の思想・文物・生活様式などを嫌ってしりぞけようとする考え方や立場。[類語]排他的・閉鎖的・人種主義・レイシズム・自己中・排斥・不寛容・村八分・擯斥ひんせき・疎外・爪弾き・指弾・排撃・仲間外...
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
2/13 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新