仁尾村(読み)におむら

日本歴史地名大系 「仁尾村」の解説

仁尾村
におむら

[現在地名]仁尾町仁尾

荘内しようない半島西部の付根に位置する。三方を山に囲まれ、西は海に面し、村の中央部に江尻えじり川が流れる。仁保村とも記す。弘安元年(一二七八)閏一〇月一二日の藤原資治田畠放券(賀茂神社文書)に「詫間御庄仁尾村 秋弘名」とあり、詫間たくま庄内一村であった。永徳元年(一三八一)七月二日の田畠実検帳(同文書)などに「仁尾上村」がみえる。一四世紀中期以降、賀茂社神人による海上活動が活発であった(→賀茂神社。なお、暦応二年(一三三九)六月二六日の国泰宛行状(同文書)にみえる土居どい、文明一四年(一四八二)四月五日の細川元国禁制(覚城院文書)にみえる覚城かくじよう院の所在地江尻は当地にあたる。保元三年(一一五八)一二月三日の官宣旨(石清水文書)に「讃岐国草木庄」とある。山城石清水いわしみず八幡宮寺領で、当地の北草木きたくさき・南草木が遺称地と考えられる。検討を要する文書であるが、弘安二年三月三日の詫間庄領家地頭等連署宛行状(賀茂神社文書)に詫間庄四至のうち南限として草木が記されている。その後応永九年(一四〇二)四月、草木庄の近藤二宮元国が常徳じようとく寺に田地子を寄進している(「近藤二宮元国寄進状」常徳寺文書)永享五年(一四三三)八月の阿野真法寄進状(覚城院文書)に「草木庄覚城院寄進事」とあり、覚城院が庄内にあったことが知られる。だが同二年の覚城院惣末寺古記(同文書)には「詫間庄草木覚城院」とあり、詫間庄と草木庄の領域は必ずしも明確になっていなかったと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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