三豊郡(読み)みとよぐん

日本歴史地名大系 「三豊郡」の解説

三豊郡
みとよぐん

面積:二九〇・五二平方キロ
財田さいた町・山本やまもと町・豊中とよなか町・高瀬たかせ町・三野みの町・詫間たくま町・仁尾にお町・大野原おおのはら町・豊浜とよはま

明治三二年(一八九九)三野郡豊田とよた郡が合併して成立した郡。県の西端に位置し、北東は仲多度なかたど多度津たどつ町・善通寺市、東は仲多度郡琴平ことひら町・仲南ちゆうなん町、南は徳島県三好みよし池田いけだ町・三好町、南西は愛媛県川之江かわのえ市に接し、北と西は瀬戸内海に面する。南西端の大野原町・豊浜町と仁尾・豊中・山本の三町との間に観音寺かんおんじ市があり、郡域は同市によって二分されている。中央部に財田川・柞田くにた川が西流し、北部は高瀬川が北流する。中央部を南北にJR予讃本線が通り、並行するように国道一一号・高松自動車道が走る。南西部から北東上するように国道三七七号が、南東端を同三二号が通る。南は香川・徳島・愛媛の県境にそびえる阿讃山脈、東は弥谷いやだに(三八一・五メートル)火上ひかみ(四〇八・九メートル)我拝師がはいし(四八一・二メートル)大麻おおさ(六一六・三メートル)などの山地を隔てて丸亀平野に接する。北西部に海に突き出すように荘内しようない半島が延びており、中央部は三豊平野が広がっている。

〔原始―近世〕

仁尾町の荘内半島に県下最大の縄文時代の貝塚である南草木みなみくさき遺跡、ひうち灘に浮ぶ同町小蔦こつた島に貝塚を伴う縄文時代の小蔦島遺跡、詫間町に弥生時代中期の高地性集落である紫雲出山しうんでやま遺跡(いずれも県指定史跡)がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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