京営(読み)けいえい(英語表記)jing-ying; ching-ying

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「京営」の意味・わかりやすい解説

京営
けいえい
jing-ying; ching-ying

中国,明代の中央守備軍。永楽帝のとき五軍営,三千営,神機営の三大営を京営とし,その兵士京衛および地方衛所から選抜された。しかし土木の変 (1449) でモンゴルのため大敗して京営が壊滅に瀕し,景帝のとき兵部尚書于謙により 15万の精鋭で 10団営に編成 (51) ,次いで憲宗 (成化帝) のとき 12団営に再編成されたが,その弱化は防ぎえず,嘉靖 29 (1550) 年にまた五軍,神枢,神機の新三大営を設け,統帥の戎政府をおいた。京営の長官には公侯伯の勲臣をもってするならわしであったが,中期以後宦官がこれを握り,制度は弛緩した。

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世界大百科事典(旧版)内の京営の言及

【五軍都督府】より

…明朝成立前,枢密院を改め大都督府としたが,1380年(洪武13)権力集中を避けるため中書省の廃止と同時に中左右前後の5軍に分割されて五軍都督府と呼ばれるようになり,各府には左右都督・都督同知などの官が置かれ,親軍を除く全国の都指揮使司および衛所を統領した。その官には多く勲臣の子孫が任じられたが,永楽帝の時の京営(三大営,のち十二団営・東西官庁),嘉靖帝の時の京営を統轄する戎政府の設置によってまったくその権限を失った。【阪倉 篤秀】。…

【明】より

…また五軍都督府に属するものが33衛あった。北京には別に京営と称する部隊があり,1424年(永楽22)設置されたが,のちしばしば改編が行われた。地方に駐屯する衛は省ごとに都指揮使司に管轄され,五軍都督府に分属する。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」