井野口村(読み)いのくちむら

日本歴史地名大系 「井野口村」の解説

井野口村
いのくちむら

[現在地名]勝山市猪野口いのくち

女神おながみ川低位扇状地の中央南部に立地し、西方を勝山街道が通る。東は平泉寺へいせんじ村の枝村赤尾あかお。村名は、天文八年(一五三九)一〇月一八日の平泉寺賢聖院々領所々目録(平泉寺文書)に「井口村分」とみえるのが早い。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図にも「井口村」として高五八四・二三石とある。正保郷帳によれば田方五一九石余・畠方六四石余。慶長五年から福井藩領、寛永元年(一六二四)勝山藩領、正保元年(一六四四)幕府領で福井藩預地、貞享三年(一六八六)幕府直轄領、元禄四年(一六九一)以降勝山藩領となった。

井野口村
いのくちむら

[現在地名]三和村井ノ口

東は三村みむら新田、南は鴨井かもい村、北は浮島うきしま村に接し、松之山まつのやま街道が東西に通る。字前田の蓮浄まえだのれんじよう寺所蔵の、近世に書写された永禄年中(一五五八―七〇)のものといわれる当村古絵図には「越後国頸城郡五十公郷岡田荘井ノ口村古絵図留之」とあり、寺二・宮四、神主一・百姓一二が記され、「高五貫文此当拾三石定」とある。文禄(一五九二―九六)頃の頸城郡絵図には「御料所梅林扱馬下助左衛門分井口村 上」とみえ、本納一七四石六斗八升八合・縄高五四二石一斗一升九合、家三二軒・一一〇人で男女とあり、「しまくら川」左岸に描かれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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