井山庄(読み)いやまのしよう

日本歴史地名大系 「井山庄」の解説

井山庄
いやまのしよう

礪波郡二五条・二六条・二七条にかけて伊加流伎いかるぎ庄の南側に展開した古代の奈良東大寺領庄園。現庄川町東部の現庄川本流を含めた地域で、雄神おかみ橋から太田おおた橋にかけての範囲内に位置した可能性が高い。

天平神護三年(七六七)五月七日の越中国司解(東南院文書)に「井山庄地百二十町」とみえ、見開四七町八五歩、うち神分一町・全佃四六町八五歩、未開七二町九段二七五歩とある。神護景雲元年(七六七)一一月一六日の礪波郡井山村田地(正倉院蔵)によると、端書部に「井山村地合百二十町」として、開・未開田積や四至を記すほか、庄域内に条里名・開墾田積・神田・道などを詳記している。井山庄の成立については、天平宝字三年(七五九)一一月一四日の礪波郡伊加流伎開田地図(同院蔵)中の伊加流伎庄の南側に「外従五位下利波臣志留志地」とみえ、神護景雲元年一一月一六日の礪波郡伊加留岐村墾田地図(同院蔵)の四至に「南同寺墾田地 井山村」とあるので、この間に利波臣志留志地が東大寺領井山庄に転じたことが知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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