井伊直勝(読み)いい なおかつ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「井伊直勝」の解説

井伊直勝 いい-なおかつ

1590-1662 江戸時代前期の大名
天正(てんしょう)18年生まれ。井伊直政長男。父の跡をつぎ,慶長7年近江(おうみ)(滋賀県)佐和山城主。8年彦根山に築城を開始,のち彦根城にうつる。徳川家康の命により彦根藩主を異母弟の直孝(なおたか)にゆずり,3万石を分与され,20年上野(こうずけ)(群馬県)安中藩主井伊家初代となる。このとき直継(なおつぐ)から直勝に改名した。寛文2年7月11日死去。73歳。遠江(とおとうみ)(静岡県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の井伊直勝の言及

【安中[市]】より

…群馬県南西部の市。1955年安中,原市,磯部,板鼻の4町と後閑,東横野,岩野谷,秋間の4村が合体して安中町となり,1958年に市制。人口4万7079(1995)。利根川の支流碓氷川流域の下流部を占め,中山道の要地で,市域内に板鼻,安中,原市の3宿があった。中心地の安中は旧城下町から発展し,市場町でもあった。1893年信越本線開通後は養蚕業の中心となり,その後安中駅南側の丘陵地の東邦亜鉛安中製錬所(1937設立)と,磯部駅近くの信越化学の工場を中心に工業化が進んだ。…

【井伊氏】より

…江戸時代の譜代大名の重鎮。浜名湖北辺井伊谷(いいのや)を出身とする遠江の名族である。井伊氏をはじめて名のったのは,系図上,共保(ともやす)のころ(寛弘~寛治。11世紀)といわれるが検討の要がある。おそらく鎌倉時代にいたって在地で武士団を形成し,南北朝内乱時では遠江の国人領主として注目される存在となっていた。井伊氏の活動が歴史上,具体的になるのは戦国争乱期である。家譜によれば,直宗,直盛は今川義元に仕え織田氏との合戦で戦死した。…

【彦根藩】より

…近江国(滋賀県)彦根に藩庁を置いた譜代大藩。1600年(慶長5)関ヶ原の戦で東軍の軍奉行(いくさぶぎよう)として戦功のあった徳川四天王の一人井伊直政は,翌01年石田三成にかわり佐和山城主に封じられ,近江国で15万石,上野国で3万石,計18万石の大名となった。02年直政は戦傷がもとで死去,嫡子直継は翌03年彦根山に築城工事を起こし,7ヵ国12大名の御手伝普請により22年(元和8)20年の歳月をかけ,彦根城の完成をみた。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」