日本歴史地名大系 「五百蔵村」の解説
五百蔵村
いおろいむら
[現在地名]香北町五百蔵
戦国時代には、初め山田氏に仕え、のちには長宗我部氏に従った土豪五百蔵氏が当地に居城を構えていた。天正一六年(一五八八)の韮生谷地検帳には「自是五百蔵ノ村」として一八町六反三八代二歩(田分一三町一反余・畠屋敷五町四反余)が記されるが、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
戦国時代には、初め山田氏に仕え、のちには長宗我部氏に従った土豪五百蔵氏が当地に居城を構えていた。天正一六年(一五八八)の韮生谷地検帳には「自是五百蔵ノ村」として一八町六反三八代二歩(田分一三町一反余・畠屋敷五町四反余)が記されるが、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
外国人や外国の思想・文物・生活様式などを嫌ってしりぞけようとする考え方や立場。[類語]排他的・閉鎖的・人種主義・レイシズム・自己中・排斥・不寛容・村八分・擯斥ひんせき・疎外・爪弾き・指弾・排撃・仲間外...
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
2/13 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新