亀田高綱(読み)かめだ・たかつな

朝日日本歴史人物事典 「亀田高綱」の解説

亀田高綱

没年:寛永10.8.13(1633.9.16)
生年永禄1(1558)
安土桃山時代武将通称は半之丞,権兵衛,大隅守。鉄斎員徳と号す。溝口半左衛門の子。はじめ柴田勝豊に仕えた。のち柴田家を追われ,姓を亀田改め,浅野長政に仕える。小田原の役,文禄・慶長の役,関ケ原の戦に参陣。慶長6(1601)年浅野家の紀州移封に際し7000石余を与えられ,家老となる。元和1(1615)年大坂夏の陣に功名を挙げる。しかし,寛永1(1624)年論功のことで上田重安と争い浅野家を去った。武功に誇る戦国武将の一徹さに由来するとされる。和泉堺,のち高野山下に隠棲した。「亀田大隅一代働覚」「泉州樫井表合戦次第覚書」を著した。

(平野明夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「亀田高綱」の解説

亀田高綱 かめだ-たかつな

1558-1633 織豊-江戸時代前期の武将。
永禄(えいろく)元年生まれ。柴田勝豊につかえたが追われ,浅野長政・幸長(よしなが)につかえる。関ケ原の戦い,大坂の陣に功をたてた。寛永元年論功をめぐって上田重安とあらそい,浅野家をさって隠居。寛永10年8月13日死去。76歳。尾張(おわり)(愛知県)出身。本姓は溝口。通称は半之丞,権兵衛。

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