亀山藩(丹波国)(読み)かめやまはん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「亀山藩(丹波国)」の意味・わかりやすい解説

亀山藩(丹波国)
かめやまはん

丹波(たんば)国(京都府)桑田(くわだ)郡を本拠とする藩。城地の亀山(亀岡市)は山陰道の要地にあり、幕府はここに譜代(ふだい)大名をあて、1609年(慶長14)下総(しもうさ)山崎藩主岡部長盛(ながもり)に3万2000石余を与えて入封させた。1621年(元和7)松平(大給(おぎゅう))成重(なりしげ)が三河西尾より2万2000石余で入部、ついで34年(寛永11)菅沼定芳(すがぬまさだよし)が近江(おうみ)膳所(ぜぜ)より4万1000石余で入部、47年(正保4)嗣子(しし)なく断絶した。1648年(慶安1)松平(藤井)忠晴(ただはる)が遠江(とおとうみ)掛川より3万8000石余で入部、86年(貞享3)久世重之(くぜしげゆき)が備中(びっちゅう)庭瀬から5万石余で入部、97年(元禄10)井上正岑(まさみね)が美濃郡上(みのぐじょう)より4万7000石余で入部、1702年(元禄15)青山忠重が遠江浜松より5万石余で入部。1748年(寛延1)松平(形原(かたのはら))信岑(のぶみね)が丹波篠山(たんばささやま)から5万石余で入部し、藩主筋は安定した。信直、信道、信彰(のぶあきら)、信志(のぶさと)、信豪(のぶひで)、信義、信正と続いて廃藩置県(1871)に至った。1869年(明治2)亀岡藩改称所領錯雑、藩財政に苦しみ、たばこ、綿などの専売制をとったが十分な成果をあげられなかった。

小林 茂]

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