20世紀日本人名事典 「久米 邦武」の解説
久米 邦武
クメ クニタケ
明治期の歴史学者
- 生年
- 天保10年7月11日(1839年)
- 没年
- 昭和6(1931)年2月24日
- 出生地
- 肥前国佐賀(佐賀県佐賀市)
- 別名
- 幼名=泰次郎,通称=丈一郎,号=易堂
- 学位〔年〕
- 文学博士〔明治42年〕
- 経歴
- 佐賀藩藩校・弘道館で学んだ後、文久2年江戸に出、昌平坂学問所で学ぶ。明治2年政府に出仕、4年岩倉具視使節団の特命全権大使として欧米を視察し、11年「米欧回覧実記」を著す。12年修史館に移り、「大日本編年史」を編纂。21年帝大文科大学(現・東大)教授となり、日本史研究に近代歴史学の方法を移植することに努めた。25年論文「神道は祭天の古俗」の筆禍事件で大学を去り、28年東京専門学校(現・早大)講師、40年教授に。在野の研究者として反アカデミズムに徹し、不動産や株など理財にも才を発揮した。また、古文書調査に基づく考証史学の基礎をつくる。著書「日本古代史と神道の関係」は大逆事件にも影響を及ぼしたとされる。他の著書に「古文書学講義」「日本古代史」「南北朝時代史」など。「久米邦武歴史著作集」(全5巻・別巻1 吉川弘文館)がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報