久津川古墳群(読み)くつかわこふんぐん

日本歴史地名大系 「久津川古墳群」の解説

久津川古墳群
くつかわこふんぐん

[現在地名]城陽市大字平川

平川ひらかわの丘陵地一帯に立地する古墳の総称で、古墳時代前期の終り頃から中期にかけて築造されたものといわれる。古墳には久津川車塚くるまづか古墳・芭蕉ばしよう塚・まる塚・あお塚・かじ塚・指月しげつ塚・はこ塚などがあり、なかでも久津川車塚古墳は群中最大の前方後円墳である。全長一五六メートル、後円部直径八六メートル、前方幅九五メートル、周濠幅三〇メートルを測る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「久津川古墳群」の意味・わかりやすい解説

久津川古墳群
くつかわこふんぐん

京都府城陽(じょうよう)市(旧久世(くせ)郡久津川村)平川の東方、低平な洪積台地上に立地する7基の古墳群の総称。群の中心をなす車塚(くるまづか)古墳は全長156メートル、後円部径86メートル、前方部幅95メートルの前方後円墳。1894年(明治27)、後円部より長持型石棺と前後に付設された竪穴(たてあな)式石室が発見された。棺内より舶載の画文帯階段式神獣鏡を含む7面の鏡、勾玉(まがたま)、管玉(くだたま)、臼玉(うすだま)、石製刀子(とうす)、刀剣などが出土し、棺外より甲冑(かっちゅう)5領、刀剣、矛、鉄鏃(てつぞく)、石製合子(ごうす)および槽が出土したといわれる。5世紀代に属す古墳。ほかに前方後円墳の芭蕉(ばしょう)塚、方墳の青塚、梶(かじ)塚、丸(まる)塚があり、青塚、梶塚は調査されている。箱塚、指月(しげつ)塚は全壊。これらを七ッ塚支群ととらえるなら、その東側に西山、芝ヶ原、尼(あま)塚の各支群があり、広義の久津川古墳群を形成する。

[近藤喬一]


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