久兼村(読み)ひさかねむら

日本歴史地名大系 「久兼村」の解説

久兼村
ひさかねむら

[現在地名]防府市大字久兼

佐波さば川の支流久兼川の流域一帯にわたる村で、東は大谷おおたに(五五八・九メートル)の山嶺を境に湯野ゆの(現徳山市)、北は奥畑おくはた村、西は和字わじ村、南は真尾まなお村の山地に接する。萩藩領で三田尻宰判に属する。

慶長一五年(一六一〇)検地帳にはみえず、真尾に含まれていたと思われるが、寛永三年(一六二六)の熊野帳では日坂根ひさかね村として総高二八七石七升九合を記し、右田毛利家領とある。

「地下上申」でも真尾村の枝村として上申されるが、和地(字)と久兼を併せて庄屋一人置かれ、久兼村分の総石高は五二四石余(田方四七〇石余、畠方五四石余)、家数五八、人口一九七とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報