丹生庄(読み)にゆうのしよう

日本歴史地名大系 「丹生庄」の解説

丹生庄
にゆうのしよう

大野川右岸下流域に比定される。古代海部郡丹生郷(和名抄)が二分され、北部一五〇町が丹生庄として立券成立した。南部二〇〇町は臼杵うすき庄。大佐井おおざい郷と同じく、宇佐宮太大工小山田貞遠が文治年中(一一八五―九〇)に作成利用した宇佐宮仮殿地判指図(宇佐神宮蔵)に「丹生庄」とみえる。同図には豊後一国平均役も記入され、当庄は置路甃六八丈五尺のうち西大門外二丈など五件を負担している。丹生庄の規模等は豊後国弘安田代注進状に「丹生庄百五拾町 領家高倉宰相家 地頭大友兵庫入道殿」とみえる。なお、豊後国弘安図田帳は臼杵庄との混同があり採用しがたい。領家高倉氏は藤原道長の次男頼宗の玄孫重通を祖とし、その五代の孫に宰相(参議)を称した茂通がいる。この人物しか該当者は存在しないが(尊卑分脈・公卿補任)、当庄と高倉家の関係を明確にする史料はない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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