中紺屋町(読み)なかこんやまち

日本歴史地名大系 「中紺屋町」の解説

中紺屋町
なかこんやまち

[現在地名]高崎市中紺屋

三ノ丸の堀の北東さや町の北にある。東は町、西は石上せきじよう寺と玉田ぎよくでん寺。町の長さ五七間三尺(高崎寿奈子)。古くは田町東隣の元紺屋もとこんや町と一町であったという(高崎志)。井伊直政が町割をした時には元紺屋町東側のとおり町の通りを中山道とし、その頃元紺屋町と中紺屋町は続いていた。数年後中山道が西に移って両町の間を通ることになり、田町が中山道の両側の町となったため両紺屋町の中央に田町が割込んだようになり、分断されたとも考えられる(更正高崎旧事記)

中紺屋町
なかこうやまち

[現在地名]長崎市魚の町うおのまち麹屋町こうじやまち諏訪町すわまち

今紺屋いまこうや町の南西にある長崎そと町の一ヵ町で、陸手に属した。すすきはら橋が架かる。はじめ今紺屋町のうちで、寛文一二年(一六七二)大町の分割策に伴い同町通南側を分離して成立(華蛮交易明細記)、同年の間数一七五間・実箇所数三九・諸役御免箇所三(長崎県史)。文化五年(一八〇八)の長崎市中明細帳では町の縦の長さ二一三間六尺余・幅平均三間三尺余で坪数三千五五九坪余(地子銀八六八匁三分)・加造地四坪余(同四匁九分)、箇所数四一、竈数一〇〇・人家一一三、人別二五〇、醤油造高一〇石。五町組は袋町組、絵踏は一月六日、踊町は本興善町組、宿町は肥後熊本藩、出火の際は立山たてやま役所詰、異船渡来の際は後藤惣左衛門詰(文政五年惣町明細諸雑記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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