中川原町(読み)なかかわらまち

日本歴史地名大系 「中川原町」の解説

中川原町
なかかわらまち

[現在地名]松前郡松前町字福山ふくやま

近世から明治三三年(一九〇〇)まで存続した町。近世は松前城下の一町。中河原町とも記される。大松前おおまつまえ川の下流左岸、川原町とくら町との間の町。享保二年(一七一七)の「松前蝦夷記」に町名がみえるが、これより早く寛永二一年(一六四四)三月の大火焼失したことが記録されている(和田本「福山秘府」など)。文化(一八〇四―一八)頃の松前分間絵図によると北側の東西道から南方よこ町の角まで八五間。

中川原町
なかがわらまち

[現在地名]高岡市川原本町かわらほんまち

上川原町の北に続く両側町で、南端付近を東に折れると檜物屋ひものや町。地子町で、千保せんぼ川の河道跡地に立地。歩数一千九二一歩六厘(不歩記)、明治六年(一八七三)の地子地一千九二八坪八合(沽券調総計帳)。天明五年(一七八五)の家数二四(家数書上帳)、文政四年(一八二一)の高岡大火では馬借持一軒を含め全町二六軒を焼失(高岡史料)。明治五年の家数三二(同書)。寛政一二年(一八〇〇)当町と西側に並行する一番新いちばんしん町との間から出火し、九町に延焼。焼失家屋四一八軒、潰家二六軒、納屋六五棟、蔵六棟に及び、専称せんしよう寺も焼失した(「大橋氏留帳」高岡史料)

中川原町
なかかわらまち

[現在地名]高山市西町にしまち

みや川の西側に位置し、南北四町(寛政元年「高山三町村覚帳」高山市立郷土館蔵)の細長い町域をもつ。二之町にのまち村に所属し、南は上川原町、東は東川原町、北は川原町と八軒はちけん町、西は西川原町。金森氏時代は長さ一六四間の馬場があり、扶持人屋敷が大半であった(「高山城下図」同館蔵)。元禄七年(一六九四)検地によれば三之町村に所属し、屋敷三反余・分米三石余、屋敷持数・家数三九(同八年「三之町村屋舗検地帳」同館蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

排外主義

外国人や外国の思想・文物・生活様式などを嫌ってしりぞけようとする考え方や立場。[類語]排他的・閉鎖的・人種主義・レイシズム・自己中・排斥・不寛容・村八分・擯斥ひんせき・疎外・爪弾き・指弾・排撃・仲間外...

排外主義の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android