中島新四郎宅跡(読み)なかしましんしろうたくあと

日本歴史地名大系 「中島新四郎宅跡」の解説

中島新四郎宅跡
なかしましんしろうたくあと

[現在地名]中区丸の内二丁目

「小治田之真清水」に「表門脇の物見長屋の結構、あたかも諸侯かたの屋敷の如」く、「むかしより異国人、或は異国の珍獣等、御城下通行の時は、高貴の御方々御忍びにて、此長屋より御すき見遊ばされ」たとある広壮な邸宅。同家は中世小笠原貞興の末流。家康側近で、朱印船貿易家で名高い茶屋四郎次郎清次の弟新四郎長吉、法名長意に始まり、新四郎の弟小四郎宗清の起こした紀州茶屋に対して、尾州茶屋とよばれた。幕府呉服師に選ばれ、将軍家の衣類調度品を納入する一方、尾張家呉服所となって藩主の召服を調進、同時に士分に類した近侍御用をも勤めた(尾州中島古記録)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報