中小田村(読み)なかおだむら

日本歴史地名大系 「中小田村」の解説

中小田村
なかおだむら

[現在地名]田主丸町野田のだ

筑後川左岸、松門寺しようもんじ村の西に位置する。屋敷地は観音津留かんのんつる溝とふる川の間にあり、東から当村・東小田村・西小田村が並ぶ(上三郡絵図)。建武五年(一三三八)三月、鎮西管領一色道猷は石垣いしかき城に立籠った南朝方の菊池武重・武藤資時らを攻略したが、同月日の肥前の長野助豊軍忠状(対馬宗家判物写/南北朝遺文(九州編)一)に「小田瀬口・石垣山合戦」とあり、小田付近は肥前方面からくる軍勢の渡河地点であったと思われる。また同月一六日の肥後の小代重宗軍忠状(小代文書/南北朝遺文(九州編)一)によると、重宗は後攻めとして高良こうら山・小田河原に馳せ向い警固宿直にあたったというから、小田には本陣が置かれたのではあるまいか。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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