日本大百科全書(ニッポニカ) 「中原市五郎」の意味・わかりやすい解説 中原市五郎なかはらいちごろう(1867―1941) 歯科医、歯科教育者。信州(長野県)北下平に生まれる。上京して鋳造工、代用教員と苦学して歯科医学を修めた。1889年(明治22)歯科医術開業試験に合格。1907年(明治40)に日本歯科教育会をおこして会長となり、同年7月に私立共立歯科医学校を創立。1909年に日本歯科医学校と改称し校長に就任、1910年専門学校の指定を受けた(日本歯科大学の前身)。生涯、歯科教育のために尽くした。東京、青山墓地に葬られた。[本間邦則][参照項目] | 日本歯科大学 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中原市五郎」の解説 中原市五郎 なかはら-いちごろう 1867-1941 明治-昭和時代前期の歯科医学者。慶応3年5月15日生まれ。東京で歯科医学をまなび,歯科医術開業試験に合格。明治40年日本歯科教育会をつくり,共立歯科医学校(現日本歯大)を設立し,後身の日本歯科医専校長となる。中原式咬合(こうごう)器の創案者。昭和16年3月22日死去。75歳。信濃(しなの)(長野県)出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例