下鶴村(読み)しもづるむら

日本歴史地名大系 「下鶴村」の解説

下鶴村
しもづるむら

[現在地名]多久市多久町たくまち 下鶴

現多久市の中央部。北境は牛津川沿いに、南はおにはな山系の下鶴山を負い、東に長尾ながお宿、西に郭内東の原こうないひがしのはると隣接している東西にやや細長い地帯。伊万里往還は、長尾宿から下鶴への入口に「盲落し」の難関があったので、その手前の猿渡さるわた徒矼とびいしを渡って山崎やまさき山山麓の道を通った。よほどの緊急時だけ直通の下鶴経由で通過した。

「水江事略」天正元年(一五七三)の項に「下津留」がみえる。近世中期に記されたものであるが、古い表記を用いてあり、最も早い時期のものとみてもよい。

佐賀郡南里なんり(現佐賀郡川副町)正定しようじよう寺を開山した満恵の弟子暁誉が、専称せんしよう寺を中興した時、寺領三〇町竹木用として下鶴村を寄進したと伝えられる(丹邱邑誌)。正保絵図に村名がみえる。

下鶴
しもつるばみむら

[現在地名]本村鶴喰つるばみ

北・東は下松求摩しもまつくま村、西は敷河内しきがわち(現八代市)に接する。肥後豊後検地諸帳目録(県立図書館蔵)の寛永一七年(一六四〇)見図帳に村名がみえる。「国誌」に高六六石一斗余とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android