下鬼柳村(読み)しもおにやなぎむら

日本歴史地名大系 「下鬼柳村」の解説

下鬼柳村
しもおにやなぎむら

[現在地名]北上市鬼柳町おにやなぎちよう

北上川と支流和賀川の合流点右岸にあり、和賀川の河岸段丘氾濫原に立地する。北は和賀川を隔てて黒沢尻くろさわじり村、北鬼柳きたおにやなぎ(現和賀郡江釣子村)、南は胆沢いさわ相去あいさり村、東は北上川を隔てて立花たちばな村、西は上鬼柳村。同川沿いに奥州街道が通る。中世は北・上・下の鬼柳村一帯は鬼柳と称され、和賀氏の一族鬼柳氏の本拠地であった(和賀郡の→鬼柳村。建武二年(一三三五)五月一三日、鬼柳教義(憲義)和賀郡新堰あらせき村を宛行われているが(「北畠顕家下文」鬼柳文書)、新堰は当村地内にあたる(北上市史)。また貞和四年(一三四八)一一月日の鬼柳義綱陳状写(鬼柳文書)に、武家方の奥州総大将石塔義房が糠部ぬかのぶの南部氏攻撃に向かうとき義綱の城に一泊したことがみえる。この城を当地の丸子まるこ館とする説がある。慶長八年(一六〇三)頃の北松斎信愛宛南部利直知行宛行状(宝翰類聚)に鬼柳がみえる。元和八年(一六二二)の南部彦九郎宛南部利直蔵入物成申付状(花巻宗青寺文書)にみえる「南鬼柳」は、当村と上鬼柳村をさすと考えられる。正保国絵図にも南鬼柳村とみえ、高九八三石余。天和二年(一六八二)の惣御代官所中高村付では鬼柳通分に下鬼柳村とみえ、蔵入高一千三三七石余、七ヵ年平均の免は四ツ三分八厘四毛。和賀新田分の下鬼柳村は蔵入高二石余で同免は八厘九毛。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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