下岡本村(読み)しもおかもとむら

日本歴史地名大系 「下岡本村」の解説

下岡本村
しもおかもとむら

[現在地名]高山市下岡本町・みどりおか問屋町とんやまちなど

中山なかやま丘陵の麓に広がり、すのり川に沿う。南側上流は上岡本村中世岡本郷・岡本保の遺称地。慶長一〇年(一六〇五)飛騨国郷帳・同一八年郷帳とも大野灘おおのなだ郷に属し、上岡本村とともに高付される。元禄検地反歩帳では下岡本村として高五九〇石余、田五三町七反余・畑四町四反余。元禄一〇年(一六九七)から高山町伝馬組の一村として馬三疋を負担(高山市史)

下岡本村
しもおかもとむら

[現在地名]河内町下岡本

中岡本村の南、鬼怒川右岸に位置する。中世には一帯に岡本郷が成立、近世には河岸が開設する。元和六年(一六二〇)分郷により下岡本村となる。近世はおおむね宇都宮藩領。慶安郷帳では高八六五石余、田方五五四石余・畑方三一一石余。延宝九年(一六八一)の百姓諸役明細書上帳(五月女久五文書)によると田四八町七反余(うち上田三八町余)、畑屋敷八〇町六反余(うち上畑三九町余・屋敷三町七反余)。元禄一〇年(一六九七)の村明細帳(同文書)によると江戸廻米は中岡本村小森こもり河岸まで村持、上乗銭は本船一艘につき四二〇俵積で金三分が村持、江戸上乗・小森河岸宿入米一俵・舟中扶持方一俵は藩から支給、持舟は八七艘で年一分二朱ずつ運上金を納入、城米御扶持は米納、家中物成・切米は籾納であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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