下大田和村(読み)しもおおだわむら

日本歴史地名大系 「下大田和村」の解説

下大田和村
しもおおだわむら

[現在地名]真岡市下大田和

五行ごぎよう川右岸に開けた平坦な水田地帯で、堀内ほりうち村の南に位置する。古くは大内おおうち庄内といったといい、天文五年(一五三六)一〇月二四日の芳賀建高寄進状(海潮寺文書)に「大田和之郷」とみえる。慶長三年(一五九八)宇都宮藩領、同六年真岡藩領、寛永九年(一六三二)相模小田原藩領。慶安郷帳に大田和村とあり、田高一千四三石余・畑高三三〇石余。慶安―承応(一六四八―五五)頃に上大田和・堀内両村を分村したという。承応三年の絵図裏書(天川武夫文書)には「真岡領」として当村名がみえる。元禄郷帳には「古大田和村」と注記されている。寛文一〇年(一六七〇)の村々明細帳(渡辺善兵衛文書)によれば田方三六町二反余・三七九石余、畑方三〇町三反余・一六六石余、御林四六町八反余、家数六一(うち無田百姓八)・人数三〇六、馬四三、花蔵院寄付高二石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android