下古沢村(読み)しもふるさわむら

日本歴史地名大系 「下古沢村」の解説

下古沢村
しもふるさわむら

[現在地名]厚木市下古沢

東は飯山いいやま村、西から北は上古沢かみふるさわ村、南は愛名あいな村に接する。集落尼寺原あまでらはら台地高松山たかまつやま丘陵の間で、やや開けた小平野に位置し、東境恩曾おんぞ川が流れる。小田原衆所領役帳に板倉修理亮「拾五貫文 中郡煤ケ谷領家分 下古沢共ニ」とある。

近世は幕府直轄領、旗本領と替わる。宝永七年(一七一〇)以降は旗本増田領となるが、皇国地誌によると、税地のうち田地は一四町余、畑地は二三町四反余であるが、山林は六〇町八反余あり、山がちの村である。嘉永七年(一八五四)四月の平塚宿加助郷勤高控(厚木市史史料集一〇)に、

<資料は省略されています>

とある。また文久元年(一八六一)一一月「和宮様御下向御用ニ付平塚宿加助郷当分助郷人馬触当控」(山口文書)によれば、同月七日より一二日までの通行で、人足五四人、馬七疋一分を負担した。

下古沢村
しもこさわむら

[現在地名]九度山町下古沢

中古沢村の北、不動谷ふどうだに川流域にある山村北東椎手しいで村。中世は高野山領六箇七ろつかしち郷の一つ古佐布こさわ郷に含まれた地で、近世も高野山学侶領に属した。「続風土記」は村高一三五石余、家数六二、人数三〇〇、社寺として八王子社、小祠一四(太神宮・大屋太神宮など)、医王山東照院安福あんぷく寺、廃竜誕りゆうたん寺、地蔵堂を記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

排外主義

外国人や外国の思想・文物・生活様式などを嫌ってしりぞけようとする考え方や立場。[類語]排他的・閉鎖的・人種主義・レイシズム・自己中・排斥・不寛容・村八分・擯斥ひんせき・疎外・爪弾き・指弾・排撃・仲間外...

排外主義の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android