下古川村(読み)しもこがわむら

日本歴史地名大系 「下古川村」の解説

下古川村
しもこがわむら

[現在地名]柏村下古川

田圃を隔てて北東鷺坂さぎさか村、南西上古川かみこがわ村、西は近岡ちかおか村の支村の上近岡かみちかおか村に接する。慶安四年(一六五一)「広須古川袋大川堀替」とあり(永禄日記)岩木川の改修工事によって旧川筋が古川となったことによる村名と思われる。

「平山日記」の貞享四年(一六八七)に「五所川原村船場ニ下古川ヘ通リ鰺ケ沢往環ニ有之候」とある。享保一二年(一七二七)には広須組に属し、川通三二ヵ村の一つで村位は下と定められた(平山日記)。享保一六年の検地帳によれば、田畑屋敷合せて六〇町三反二畝二七歩、村高は三六〇・六七四石であった。

下古川村
しもふるかわむら

[現在地名]倉吉市下古川

小田こだ村の北、天神川左岸に位置する。下古河とも記された。当地南西を北条ほうじよう用水が流れる。拝領高は三八三石余、本免六ツ一分。下池の池田氏の給地があった(給人所付帳)。享保一九年(一七三四)の鈴木孫三郎所持本「伯耆誌」では高四三〇石、竈数三六。舟居ふない大明神(現船内神社)を祀る。幕末の六郡郷村生高竈付では生高四三四石、竈数四二。

下古川村
しもふるかわむら

[現在地名]立田村森川もりかわ 下古川

東は佐屋さや川を越して西保にしほ(現佐屋町)、西は鵜戸うど川に面する立田新田の一村。「徇行記」によれば、概高一八四石余は一円蔵入地で、田は八町一反一畝余、畑は四町三反八畝余。「寛文覚書」に戸数三一、人数一八一とある。「徇行記」は「小百姓ハカリニテ貧村ナリ、高ニ準シテハ田夫多ク隣郷ヲ承佃スル也、卑湿ノ地ニテ水潦深タマリス、悪水ハ常ニ大森村ノ下、大海用ヘ落ルナリ」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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