上鉄村・中鉄村・下鉄村(読み)かみくろがねむら・なかくろがねむら・しもくろがねむら

日本歴史地名大系 「上鉄村・中鉄村・下鉄村」の解説

上鉄村・中鉄村・下鉄村
かみくろがねむら・なかくろがねむら・しもくろがねむら

[現在地名]緑区鉄町・もみの木台きだい・すすき一―三丁目・黒須田くろすだ

谷本やもと川に沿う平地と、東端部を流れる黒須田川のつくる谷戸のほかは丘陵が続く。北は早野はやの村・王禅寺おうぜんじ(現川崎市麻生区)、東は黒須田村大場おおば村・いち村、南から西にかけては谷本川を境に上谷本かみやもと村・鴨志田かもしだ村・寺家じけ村と接する。承元三年(一二〇九)一〇月の某家政所下文(県史一)で五升米の徴納を命じられている郷のなかに「黒金」がある。正保国絵図に「鉄村」とある。元禄国絵図では上鉄・中鉄・下鉄の三村に分れている。

近世初めは幕府直轄領。慶長七年(一六〇二)一部が旗本加藤領(のち上鉄村)。残りは寛永一〇年(一六三三)旗本筧領(のち中鉄村・下鉄村)。明和八年(一七七一)以降上鉄村は幕府直轄領と加藤領の二給。田園簿では「鉄村」一村で田一九九石余、畑二一八石余。中鉄村は正徳二年(一七一二)年貢割付状(県史八)によると田七町四反余、畑八町余と田成畑七反余、荒畑三畝。年貢の負担は元和六年(一六二〇)の年貢割付状(県史六)によると、取米は田が一八石六斗余、畑屋敷は五石四斗余。宝永二年(一七〇五)一二月の年貢割付状(県史八)では、中鉄村の検地が行われ、村高は六三石余から九九石余に増加し、年貢も田方取米は三八石余・一〇八俵三斗余、畑方取米は一四石五斗余・四一俵二斗余となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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