上道村(読み)あがりみちむら

日本歴史地名大系 「上道村」の解説

上道村
あがりみちむら

[現在地名]境港市上道町・花町はなまち元町もとまち岬町みさきちよう湊町みなとまち

弓浜半島の北東端さかい村の東と南に広がり、北は境水道に面し、東端は美保みほ湾沿岸を形成する。地勢砂地平坦。集落の中央部を小丘状の砂丘地帯が南北に続いており、墓地となっている。砂丘地帯に並行して西側に外浜境そとはまさかい往来が南北に通り、東側に海岸線に沿ってなだ道が通る。外浜境往来は境村へ至り、灘道は枝村はなへ通じて境水道へ至る。村名は境村を発して上方への上り道にあたるところから起こるとする説もある(伯耆志)。なお宝暦一三年(一七六三)口上覚(上道神社文書)に当村はもと境村の出村であったと記されている。当地稲賀家に伝存する永禄六年(一五六三)八月二〇日の田地売券によると、「浜の松下 五郎左衛門」は島根半島森山もりやま(現島根県美保関町)の「うひの大夫八郎左衛門」から同村長島ながしまにある苗代田(面積不明)を三貫文で買入れており、これに関係する慶長二年(一五九七)三月一九日の雲伯境目証文(村上家本「伯耆志」)に「上道村庄屋吉兵衛」の名がみえる。

藩政期の拝領高は一四〇石余。本免三ツ六分。享保一九年(一七三四)の高二〇〇石余、竈数八五(鈴木孫三郎所持本「伯耆誌」)幕末の六郡郷村生高竈付では生高二八八石余。安政六年(一八五九)の中海付村高家数人数書(県立博物館蔵)によると家数三九三・人数一千九九二、牛二五・馬一二。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android