上石川村(読み)かみいしかわむら

日本歴史地名大系 「上石川村」の解説

上石川村
かみいしかわむら

[現在地名]鹿沼市上石川・さつきちよう

くろ川左岸段丘上に位置。北は茂呂もろ村、東は深津ふかづ村、南は下石川村。文禄二年(一五九三)検地帳(石川軍内文書)では、田四二町一反九畝一三歩・畑一〇三町八反二一歩・屋敷二町一反五畝二九歩。慶安郷帳では田三五二石余・畑三五三石余、宇都宮藩領。貞享二年(一六八五)から幕府領、元禄四年(一六九一)には旗本遠藤・北条、および幕府領の三給。同五年幕府領が旗本西郷領となり、翌六年再び幕府領、同九年旗本須田領となる。遠藤・北条領は同九年から同一四年の間に旗本畠山領となり幕末に至る。

明暦二年(一六五六)検地(石川幸雄文書)では田高三六七石余・五〇町七反余、畑高四二九石余・一〇一町二反余、屋敷三町七反余。

上石川村
かみいしかわむら

[現在地名]新発田市上石川

西北流して坂井さかい川に注ぐ石川川の谷口集落で、河岸段丘上には縄文遺跡がある。当地の旧家倉島家の屋敷内には「殿様の墓」とよばれる二基の板碑があり、うち一基には元応元年(一三一九)一〇月二〇日の銘がある。また同家裏山の中腹には「ゴリンサマ」と称される石造三層塔二基があり、同時期のものと考えられている。近世ははじめ村上藩領で、正保国絵図に村名がみえる。延宝九年(一六八一)頃の高反別免割家数人数帳(寛政一二年写、新発田市史資料)によると蔵光組に属し、高一六三石一斗余、免四ツ七分、田畑一五町四反余、家数一〇、人数一一八。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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