上目黒村(読み)かみめぐろむら

日本歴史地名大系 「上目黒村」の解説

上目黒村
かみめぐろむら

[現在地名]目黒区上目黒一―五丁目・中目黒なかめぐろ一丁目・青葉台あおばだい一―四丁目・祐天寺ゆうてんじ一―二丁目・五本木ごほんぎ一―三丁目・中町なかちよう二丁目・中央町ちゆうおうちよう二丁目・東山ひがしやま一―三丁目・大橋おおはし一―二丁目・駒場こまば一―四丁目

現目黒区の北部に位置する。武蔵野台地東端淀橋よどばし台と目黒台の間を流れる目黒川中流に展開し、南東は中目黒村。村内を相州への矢倉沢やぐらさわ往還駒場野への道、丸子まりこ(現神奈川県川崎市中原区)への道が通る(「風土記稿」など)。初め幕府領で、寛永九年(一六三二)近隣諸村とともに芝増上寺へ寄進されるが、当村のみがすぐに幕府領に戻され、寛文五年(一六六五)の増上寺領目録(増上寺文書)では村名はみえない。以後幕府領として幕末に至る(旧高旧領取調帳など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報