上本田村(読み)かみほんでんむら

日本歴史地名大系 「上本田村」の解説

上本田村
かみほんでんむら

[現在地名]穂積町本田ほんでん

下本田村の北に位置し、東を糸貫いとぬき川、西を五六ごろく川に挟まれた平坦低地に立地。中央やや東寄りをなか川が南流。南部を中山道が東西に抜け、町並が形成されている。江戸初期は下本田村とともに本田村一村であった。領主の変遷は下本田村と同じ。元禄郷帳に村名がみえ、高八五九石余。大垣藩の預所地方取斗覚書(林文書)によると御貯籾寄蔵が設けられていた。天明八年(一七八八)の村明細帳によれば、家数一一六(うち高持五六)、医師・大工各一、馬一二。天保九年(一八三八)の村明細帳では家数一三二(うち造酒屋・油屋各一)・人数五六四、板橋二・土橋一。糸貫川通・五六川通・中川通にそれぞれ堤を築いていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報