上修善寺村(読み)かみしゆぜんじむら

日本歴史地名大系 「上修善寺村」の解説

上修善寺村
かみしゆぜんじむら

[現在地名]修善寺町修善寺

狩野かの川の支流かつら川上流の谷間に開けた村で、東は下修善寺村。江戸時代は君沢くんたく郡に属する。「増訂豆州志稿」によれば、寛永一九年(一六四二)下修善寺村と分離したとされる。寛文四年(一六六四)・同一〇年伊奈兵右衛門による検地が行われたといわれる(「村々様子大概書」江川文庫蔵)。元禄初年高帳では高五一〇石余・新田高二七石余、天保郷帳では高五八六石余。江戸時代初期は幕府領、元禄一一年(一六九八)旗本新庄・三宅須田島田・大久保・井出の六氏に約八五石余ずつ分郷され、残り約六〇石は幕府領(同年「知行渡村々高辻覚」小川家文書、「韮山町史」)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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