三郷山(読み)さんごうやま

日本歴史地名大系 「三郷山」の解説

三郷山
さんごうやま

綴喜郡宇治田原うじたわら町の北部にそびえる大峰おおみね山の南西に位置する標高三六六メートル余の山。三郷山南西斜面は久御山町の飛地で、佐山さやま佐古さこはやしの共有山。

明治一〇年代の「京都府地誌」は佐古村の項に次のように記す。

<資料は省略されています>

山名は、三郷(佐古・佐山・林)の共有であったことからと思われ、伝えによれば古来、当地双栗さぐり神社の宮地であったという。

延宝四年(一六七六)の椏本八幡宮縁起(中初栄氏蔵)に、

<資料は省略されています>

と記し、三郷山は単なる宮地であったのではなく、遥拝所でもあったらしい。

三郷山
さんごうやま

川合かわい槙山まきやま村・三田みた丸柱まるばしら村と近江信楽しがらき神山こうやま(現滋賀県信楽町)の三郷にまたがる山地頂上は標高四四八メートル。藩政の初期から境界論争の絶えなかった地域。「永保記事略」の寛文三年(一六六三)四月一日の条に「丸柱山、江と境目論先年有之、焼物之土、公儀御運上に可相成哉之趣に付江戸え駈引之事、△近年追々引合有之、尚此後も段々駈引有之、多羅尾宗右衛門取扱、藤堂数馬も信楽へ挨拶に及候事」とあるように、論争の直接の導火線は陶土に関連するようである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報