日本大百科全書(ニッポニカ) 「三笑亭夢楽」の意味・わかりやすい解説
三笑亭夢楽
さんしょうていむらく
(1777―1831)
江戸後期の落語家。初代。本名里見晋兵衛(しんべえ)。江戸・麻布(あざぶ)一口坂出身。質屋に奉公したが浄瑠璃(じょうるり)を好んで豊竹(とよたけ)宮戸太夫の門に入り、登志太夫と名のった。1803年(享和3)初代三笑亭可楽(からく)に入門し、流俗亭玖蝶(きゅうちょう)から三笑亭夢楽となった。人情噺(ばなし)を得意とし、自作自演で人気を獲得した。1809年(文化6)かってに夢楽を夢羅久と改めたため師可楽の怒りに触れ、朝寝坊夢羅久または朝寝坊むらくとした。のち烏亭焉馬(うていえんば)の門人となり笑語楼夢羅久と改名。長物語人情噺の祖といわれる。この朝寝坊むらくの名は9代目まで続いたが、大阪出身で3代三遊亭円馬を襲名した7代むらくがもっとも優れ、明治末から大正初めに東京で活躍した。なお、三笑亭夢楽の名は昭和になって復活し、本名渋谷滉(ひろし)(1925―2005)が三笑亭可楽門から出て二つ目で2代目を襲名、1958年(昭和33)真打(しんうち)に昇進した。
[関山和夫]