三留野村(読み)みどのむら

日本歴史地名大系 「三留野村」の解説

三留野村
みどのむら

[現在地名]木曾読書よみかき 三留野

三留野村は中山道沿いに北から十二兼じゆうにかね中川原なかがわら金知屋かなちやの集落が散在し、三留野の宿場町へ入ってさかしたなか町・しん町が街村をなし、和合わごう神戸ごうどが中山道に沿って妻籠つまご村のほうへと続いている。木曾川右岸にも柿其かきぞれ村の続きに戸場どば梛野なぎの川向かわむかい沼田ぬまだなどの小集落が散在している。北には木曾川右岸に柿其村左岸野尻のじり村があり、西には田立ただち村、南には妻籠村が隣し、東は山を隔てて与川よがわ村とあららぎ村に境する。

宝暦七年(一七五七)の「吉蘇志略」には「(三留野左京亮家範)木曾左京大夫家方の二子なり、曾て此に住し、因て以て氏と為す。(中略)里老の伝へ云ふに、往時木曾氏飛騨路を拒がんと欲し、砦を田立山に於て構へ、又館を此に於て築き、其族を之に居らしむ、三留野は則ち御殿之謂ひ也、駅の西に一つの高阜有り、呼で城山と曰ふ、是れ古烟の址也」とあり、また明和二年(一七六五)の「木曾古道記」には「三留野。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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